俺の夏休み、こんな感じ

予定があってめまぐるしい感じの日常がないとまじで創作がはかどらないと改めて感じた

自分の日常は物事を考えることが多いので頭の回転癖がついており

感情の変動をエンジンとして創作が行われる

そしてすごくかっこつけた思考や文体やらになる

万年厨二乙なので


そういやCHUUNIというネットスラングが海外のアニオタやら漫画オタやらとにかくその辺でも使われていることを知った

あとMY WAIFU (=俺の嫁)は知ってたけど(MAIだっけ?)

my boy を MY BOI と書いてるっぽいコメントを見かけた

あれも同類のスラングなのでしょうか

愛国心から来る喜びを感じますねこういうの見ると

愛国心というよりは同じものを分かち合う時の喜びや

自分にまつわるものを好む人への好感かとも思うが…


で創作の意識の話に戻るけど

前自分の感情を根源とした存在イズ自キャラという考えを述べていた

しかし最近の休みの創作意欲低下期を通してでろでろになった頭からすると

自キャラはおもちゃだなと感じます


もちろん前に述べた考えもあっていると感じる

けどちょっとかっこつけすぎというか

言い訳じみているというか正当化しまくりというか

まあ主観文は正当化自己肯定のオンパレードよな自分にとって

そんな善人ぶらなくてもと思った


おそらく創作キャラを大切にしたい気持ちを持つ人の考えをいろいろ聞いて拠って酔ってたのでしょう

迎合したがり

攻められたくなさすぎ


いろいろぐだぐだ言ったけど

要は飽きたら終わり、次へ

だからおもちゃだなと


頭の中ではいろいろ動かしてるけど形として完成させきれないんだなー

だから中途半端に過疎って終わった感じに見えるけど

頭の中では盛り上がってるんだけどなー

とも思う

要はこの創作企画への参加として自キャラを動かしているスタイル(交流することや自分がついったに作品として上げること)によって

上記の()内のことをしなくなる=自キャラを動かせていない=自キャラを失っているのでは

という感覚を抱かせている仕組みになっている


そんな長期的頻繁的な創作スタイルを望むものじゃないんだよ創作企画に参加するまでの自分の創作とは!

なんか理想に縛られているよね~



あと最近気づいたことをもう一つ語るよ


考えや感情に縛られてる人を見て、もっとこう考えればいいのに…と思う事、あるよね~

前まではそれに対して

自分が何かしらのアクションを起こすことで

その縛りから解放されたらいいよなーと思っていた

しかし最近は、考えや感情に縛られることって必ずしも悪いことじゃなくない?と思うようになった

多分自分に時間的余裕があるからそう思うようになったのだろう…か?

あと他人への関心低下とかか?

または自分が考えや感情に縛られる性質を正当化しようと、それが良いことと思い始めたからか?


お腹下してるのでここでおわりな




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