盆休みを跨いで
三島由紀夫「愛の渇き」を読んだ
盆休みを跨いでしまったため
いつものように感想が書けるかどうか
というのは盆休みで図書館が開いておらず
一週間以上間をあけて読んだため
という理由に加えて
休暇により創作における生産性が低下し
文が書けるテンションが下がってるのではという理由もあります
どうも日常生活は創作という嘔吐を盛んにする作用があるようで助かるよね
最近は睡眠時間に対する活動時間が少なく
夜寝付きが悪いため無駄に思考を巡らせてしまい不安になり
それを創作に昇華する力も出ないため
大変だ
ニートに向いていない理由がこれです
いやニート適合性を求めるんじゃありません
しかし読書がここで役立つのです
日常生活では胸から喉にかけて熱いもやもやが立ち昇り呼吸を妨げる感覚がするが
読書をすると(作品によるが)その感覚を抱くことができるのだ!お得!
しかも快楽的に
(その経験から逆に日常生活のもやもやを快楽に変換できる気がする、できたら最強)
なおドストエフスキーの白夜ではそのもやは得られなかった
やはりお国の違い?
日本語に訳された文より日本語で書かれた文のほうがわかりやすいというか
読解しやすいという意味ではなく
心に感じやすいということかな?
横着して
旧字体で読めないところを読み飛ばしたりしてるのでわかってないところがあるはずだが
日本語訳の文より心に入ってくるため
母国語の唯一無二感あるね
てな感じで読書によって文書き意欲も補充されている安堵はこれくらいにして
この著者も名前だけ知って作品を読んだ記憶のない方の一人
最近ホットな話題の恋愛系の題名に惹かれ読むことに
またあらすじを追いながら感想を述べたいものだがそれはなかなか難しいので
気に入ったり共感したり印象深かったりした部分を抜粋しましょう
主人公は夫が帰ってこない日々に苦しみ
夫はわざと浮気が主人公の目につくようにしていた
夫が病気で入院し、主人公は夫への愛によって夫が死に向かうことを喜んでいた
という心情が描かれた場面が印象的だった
主人公は夫が病気から回復すればまた浮気してしまうため、病気が治らないことを喜び、
病気の夫を看病するために自分が夫に付きっ切りである状況や
そのまま夫が死ぬであろうことを喜んでいたということ
それと同様に主人公が、病院という場を好感的に見ている描写も印象的だった
入院している者は生きることを最たる目標としており
例えば主人公が夫の浮気に悩むような
生きること以上の余計な望みなどが
入院している者にとっては存在しないという状態を好ましく感じる
という主人公の感覚
これには共感もあった
共感したくないというか
好ましくないというか
人目に晒すべきでない共感ではあるが
満たされているからこそ
それ以上の余計な欠乏を感じてしまう
それならいっそ貧困であったほうがましでは?
という考えを持ってしまう瞬間があるため
共感をしたというわけです
しかしそんな考えを抱くことは自分が許しませんよ!
印象的シーンその3
主人公が郵便屋の人に、自分が持ってるボールペンを物珍しげに思われて
そのまま譲ってしまう場面で、主人公は
愛がなければ物を与えることは容易い
的な考えをしていたところが3つ目
この文に
自分の中でまだ言語化できていなかった感覚が言語として表されていることを感じ
すっきりしました
家族や友人など
人との特別な関係をしんどく思うことが多く
それは愛によるものでもあるかもしれない?という見方が
この場面によって得られました
最近は他人に対して少し関わるだけでも
このようなしんどさを感じるため
見境なく愛情を振りまこうとしているのかもしれない?
まあその実態は自分と他人への過大な期待が原因なんですがね
失敗への恐れとか
でも関心や愛がなければ期待もしないから
やはり愛情なのでしょうか
相手や自分に期待をし理想に向かわせることが愛情に基づくことなのでしょうか
自分の感性が若いことはわかる
多分
印象的シーンその4
主人公が自分の苦しみを日記に綴り
それでも自分は幸福である、幸福でないという根拠はないから
的なことを書いてた場面
これも共感できる点の一つでした
先程自分が、抱くことを許さないといった考えについて通ずるのだが
苦しみを味わえど周りや他者を見て
自分はこんなに恵まれているから
不幸だと言ってはならない
よって自分は幸福なのだと言い聞かせることがあります
そういう感覚を持つのでこの場面に共感したわけで
実際にこの場面がそういう心情を言ってるかは知りません
まあこれはこの場面に限らず
自分が共感したと思う場面への解釈は
自分の共感に寄せたものになってしまうものです
印象的シーンその5
主人公が好意を抱く男性がある女性を妊娠させ
主人公は男性に、妊娠させた女性を愛しているかを尋ねたところ
男性が思ったことが以下の引用文
ある半径のなかに置かれてこそ引きあはずにはやまないが
その外へ出ればもはや引きあはない磁石のような関係には
愛といふ言葉は甚だ妥当を欠くやうに思はれた。
どう印象的だったかというと
自分は、恋愛関係を築く人々や、自分に恋愛感情を抱くという人々を見るたび、その人々の気持ちに疑念を抱くきらいがあります
その考えに対して、この場面の男性の考えが理由なのかもしれないと思ったわけだ
またしても自分に寄せた共感
この自分の考えも、過度な期待や理想が原因と見た
またこの男性は、別の機会にまたしても主人公に誰を愛しているかと聞かれます
その時の男性の考えも印象的共感的であった
以下が男性の愛することに対する考え(を語り手が述べてる部分)の引用文
この一見行きあたりばったりに送ってきた気楽な生活に余計な意味をつけ、また彼が今後送るべき生活に余計な枠をはめこむ、何かしら余剰の概念としか思わなかった。
この言葉が日常必需品として存在し、時と場合によってはこの言葉に生死も賭けられる、さういふ生活の営まれる一室を彼は持たない。
これにどう共感したかというと
自分が恋愛という行為に対して柵を感じ、嫌悪感を抱く理由がこのような考えにあるのではと思ったのです
やはりこの考えにおいても自分は恋愛に対しての過度な期待と理想があるのでしょう
恋愛を楽しめている人々はもっと複雑には考えず適当にやっているのでは?
友人関係なども同じく
ということで作品の共感ポイントから
あらためて自分の考えの煩雑さを実感したのであった
それを悲観する時期もあったが
最近は自分にしか見えない景色だと考えるようになり
それを創作で何らかの形にして
自分が見ている景色を見ることができない人に垣間見てもらいたい
という創作意欲があります
なので創作意欲の削がれる休暇は幸せでも不幸でもあるのだ!
しかし読書がそれを変えてくれると気づいたため自分は幸せ!
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